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映画『風と共に去りぬ』 ハリウッド映画史に残る不朽名作を語ってみる

更新日:

映画『風と共に去りぬ』 GONE WITH THE WIND

風と共に去りぬ

雄大なスケールの中に燃え上がる炎の恋!映画史に輝く不朽の名作(リバイバル時)

映画史上、燦然と輝く愛の金字塔!!
炎のごとく燃え上がる世紀のロマンを雄大、華麗に描いた永遠・不朽の名作(リバイバル時)

主人公スカーレットとヴィヴィアン・リーの奇跡の出会い

一番最初にこの作品を観たときは、その良さが全く判らなかった!余りにも幼すぎて・・・
その後、観たときに感動と共に大きなショックを受けた作品。
アカデミー賞の監督賞を取ったフレミング監督と共に、映画の後半はジョージ・キューカー監督がメガホンをとった。

作品としては、その影響もあり2部構成のような作りになっている。
フレミングはあくまで大河ドラマとしてこの作品を撮り続け、キューカーは人間ドラマとして撮った。
それでも、この作品が成功したのはプロデューサー・セルズニックの執念の現れだろう。

当時、最新のカラー技術を用いて、映像的な美しさを演出したのはもちろん、セットも豪華に組まれた。
俳優陣も、これ以上はないと言っても間違いないだろう。
レット・バトラー役は、当時はクラーク・ゲイブル以外考えられなかったし、スカーレット・オハラ役はヴィヴィアン・リーを発見することが出来た。
彼女にとっては、この作品に出たことによって一気にスターダムにのし上がった。
これだけのスターが出演しながら、それぞれの配役がピッタリとマッチしている点も、今後はなしえないことだろう。

ヴィヴィアン・リーの発見には逸話が残るぐらい有名。
数多くの有名な女優がカメラテストを受けたが、恋人でありイギリスの名優ローレンス・オリビエと共にハリウッドを訪れた彼女に、白羽の矢が立ったのは有名な話。

原作も、ミッチェル女史が南北戦争の話を伝え聞いたことを書き綴った部分と、彼女自身の体験を盛り込んだ話として書かれ、当時の大ベストセラーでもあった。
ミッチェル女史自身が、かなりの美貌の持ち主であり資産家の娘だったことを考えると、スカーレットはミッチェル自身とも言える。

この作品の素晴らしい点は、そのテーマにあった。
確かに最高の俳優に恵まれ、湯水の如くお金を使い、原作にも恵まれた。
やはりスカーレットの生き様を、南北戦争という大河ドラマをしっかり描きつつ、それに負けない力強さを持って描いていたことだ。
それは上にも書いたとおり、いくつかの偶然(原作が既に持っていたスカーレット像と、それを演じきれるヴィヴィアン・リーという女優の存在)によってなされた。

アトランタからタラに戻るシーンで、枯れ果てた木の傍らで力強く立ち上がるスカーレット、レッド・バトラーが去った後でもくじけない、スカーレットの精神的な強さ。
そこには、アメリカン・スピリットと言う言葉では片づけられない、人間として逞しさ勇気を感じることが出来た。
このテーマを見事に描き切り、傑作として映画史を語る上で、忘れることの出来ない作品となった。

Reviewed in 11.1998

風と共に去りぬ

人間のドラマの全てが詰まった作品

久しぶりにこの作品を観た。
前回観たのは5,6年前でビデオ、映画館で観るのは十数年ぶり。
今回の上映は、60年前のテクニカラーを再現する事を一番に考え処理したもの。
今年でちょうど60周年記念と言うこと。

映像自体は明らかにビデオに比べると美しく、映画館で聞く音楽はまた一段と良い。
但し、今回の上映館、有楽町スバル座は音響設備が余り良くなかったのが残念。

それはさておき、何度目か(十数度目か?)の鑑賞になるこの作品。
何度観ても素晴らしさを実感せずにはいられない作品。
今回はその素晴らしい点を色々発見する事も出来た。

まずその最初がドラマとしての素晴らしさ。
とにかく物語が面白い、それは原作者マーガレット・ミッチェルの功績で有る事は間違いない。
四人の主人公(レット、スカーレット、アシュレーにメラニー)が魅力的であること。
理想の男性像としてはレットであり、理想の女性像としてはメラニーなのだろう。
が、優柔不断さと優しさが混在するアシュレーもまた一つの男性像だし、気が強くわがままで利己的なスカーレットもまた一つの女性像の憧れの姿だと思える。
その四人の主人公が、アメリカ最大の内乱、南北戦争を舞台にして波瀾万丈の人生を送る。
大河ドラマと人間ドラマが混在する。
色々な愛の形を描きながらも、家族の絆や友情、そして奴隷制度や南部の文化も描いている。

そしてこの劇的なドラマ性を持った小説を、見事に映像化したことの素晴らしさ。
それは破綻のない演出もしかり、お金をふんだんに掛けたセットもしかり、で有る。

ここに描かれるテーマは人間の本当の強さとは何か?人間が生き残るには何が必要か?と言うことだと思う。
だからこそ、今でも人々の心を強く打つのだろう。

この映画にはおそらく、これからも起こり得ない偶然がいくつも重なって、奇跡が生まれたと言った方が良いのかもしれない。
それは60年前と言う映画の一番良い時代、ハリウッドの映画製作のシステムが完成した時期で有り、未だ初期の映画作りの純粋さを残していた時期でも有った。
そして意欲的でバイタリティあふれるプロデューサー、デビッド・O・セルズニックの手元に、この小説が渡ったこと。
更にクラーク・ゲイブルとヴィヴィアン・リーと言う二人の俳優が存在したこと。
最後の偶然は、この時期、本格的にカラー映画が出てきたこと(この映画ができたのは第二次世界大戦前である!)。

小学生の頃、この作品を観たときに、レットの男らしさを理解できず、スカーレットの魅力も理解できなかった。
ただ壮大なドラマだけに感心したに過ぎなかった。
それが少しずつ時間が経つにつれて、男女の愛に感動するようになった。

そして今回は親子の愛情、それに涙する事が出来る年齢になった。
オハラ親子の愛、レットの娘への溺愛、家族の大切さ...それらもこの作品、開拓精神旺盛なアメリカ人の心のより処、それが家族であることが、今、 この年齢になって理解できる。

良い映画を何度も観ることの素晴らしさ!それができることが映画の素晴らしさである。
そしてそう言う映画に出会えることこそが、(一つの)人生の喜びでもある。

今回、60年前のテクニカラーの美しさ、音楽にのって冒頭のタイトルが出るシーンから心揺さぶられる。
そして、スカーレットは言う「明日は明日の風が吹く」と。
その姿こそが、人を強くして生きる道標をとなることを、人々の心に植え付けていく...永遠に!

Reviewed in 11.1999

風と共に去りぬ

奇跡のドラマ 『風と共に去りぬ』

劇場で観る

そう久しぶりに劇場で『風と共に去りぬ』を鑑賞した。
ロードショー終了前日と言うのに、満席、立ち見御礼となってしまった(・_・、

今回は『風と共に去りぬ』の60周年記念と言うことで、なるべく60年前のオリジナル状態に戻すと言う形で上映されました。

今回のリニューアルに付いてパンフより抜粋します、以下の6点がリニューアルされました。

  1. クリアなデジタル・サウンド
  2. 純正テクニカラー・ダイ・トランスファー・プロセスの復活
  3. 現存する複数の映像素材より最良の部分を探し出してデジタル・クリーニング
  4. 近年の版に欠損が生じていた約十二分を復元
  5. 32年ぶりにオリジナル・スクリーン・サイズのスタンダートで上映
  6. 字幕は戸田奈津子さんの新訳

といったところです。

当初、映画のカラーは純正のテクニカラーだったのですが、撮影・そのプリントに非常に手間が掛かるため、現在ではイーストマン・カラーに取って変わられました。
テクニカラーは1915年創設したテクニカラー社の商標で、代表的な映画作品は、この『風と共に去りぬ』の他に、ディズニーの『ファンタジア』、『オズの魔法使い』が有ります。
今回の画像に関しては、デジタルで復元、スクラッチ、しみ、汚れ、変色をチェックして復元しています。

更に近年欠損していた、スカーレットが「私は二度と再び飢えない!」と叫ぶ場面、レットに別れを告げる場面の約12分間が復元されました。
また、この作品、途中に休憩が入るのですが、序曲、間奏曲、休憩音楽、終曲の計約12分間、音楽だけで画面は真っ暗、をも復活させています。
サウンドはデジタル化、ノイズのクリーニングなど... 。
スクリーン・サイズをスタンダードの1対1.33の公開当時のオリジナルに戻したこと。
現在主流は1対1.66ですね、これで上映すると画像の上下が切れてしまうそうです。
従って上映の際も、映画館自身も工夫が必要だったみたいです。

繰り返し観る

感想の方にも書きましたが、この作品、ビデオやテレビでは何度となく観ている作品。
その度に新しい発見が有る。
それは、この映画の素晴らしさも有るが、自分自身の成長によってこの作品から得るものが違ってくると言うのも有ると思える。
この作品は1939年に出来上がった作品。
今更、そんなに古い作品を観る必要もない!と言う人も沢山いるかも知れない。

それではここで少し古い映画、新しい映画の私的解釈を!(笑)

映画とは、その時代を映すものであり、また観客も時代にどっぷり浸かっている、と言うことは、映画にとっても“今”が大切で有る事は間違い有りません。
そう言った点から映画というものをとらえると、今の映画が最高に面白いのは間違い有りません。
では古い映画はつまらないのでしょうか?

書籍というものは、それこそ2000年前から存在し、繰り返し読まれ続けているものが有ります。
それなら映画も同じでは?まぁ~そう単純な話では有りません。
映画は生まれてから100年が経っただけの新しい文化です。
サイレントと言う無声映画時代を経て、トーキー、そしてカラー映画、今ではSFXにCGと言う技術革新の中で進んで来ました。
これらの技術革新は、いったい何のために必要だったのでしようか?答えは1つしか有りません。
より“リアリティ”を与えるために生まれてきたのです。

果たして映画にリアリティを与えることが、映画の良さに直接結びついているのでしょうか?
ある意味ではそうだと言えますし、ある意味では違うとも言えます。
技術の革新で表現が容易になることによって、表現が平易になるという弊害も生まれてきています。
そう映画は技術だけでも有りません。

それでは時代性?と言った場合、どれだけの作品が現代を浮き彫りにし、それを効果的に表現しているのでしょうか?これも作品の古い新しいとは別のものです。

現代は、映画が生まれた100年前、『風と共に去りぬ』が生まれた60年前と比べて、社会やそこに生活している人の人間関係も複雑化してきています。
当然、この点に関しては、現在の映画でしか描くことの出来ないものかもしれません。
しかし物事の本質全てが、果たして複雑化しているのでしょうか?
古い映画で、今でも観る価値の有る映画、それは物事の本質を捉え、純粋な(単純な)表現によって、観客によりストレートに見せることではないでしょうか?
社会的事象が複雑化していたとしても、実際、そこにある本質は、愛情であったり、嫉妬であったり、友情であったりと言ったシンプルなものなのかもしれません。

とすると、古い映画を観る価値がないというのは、拙早な考え方と私は思います。
確かに新しい映画の中にも素晴らしい作品は有ります、しかし古い映画の中にも素晴らしい作品は沢山あるのです。
それを知った上で、繰り返し観ることが出来る作品、自分の成長と共に観ることの出来る作品というと、当然の事ながら古い作品になる訳です(例え、新作映画を今観たとしても、10年後に見直した時には、古い映画になっている訳ですから...)。

奇跡が生んだ映画

感想の方にも書きましたが、いくつかの偶然と必然が結びついた奇跡の作品と言えます。
まず、この小説が一人の女性によって生み出されたベストセラー小説であり、作者マーガレット・ミッチェルは、この作品の前にも後にも、小説は書いていないのです。

そして、この小説がハリウッド映画界のプロデューサー デイヴィッド・O・セルズニックの手元に渡った事。
しかしセルズニックは当初この小説の映画化に対して否定的でした。
その理由は、小説がベストセラーであり既にアメリカ国民の中にイメージが出来上がっている、と言う点でした。
そして当然、その小説に出てくる登場人物のイメージも既に将来の観客の間に浸透していました。

それに応える俳優を見付け出したこと、クラーク・ゲイブルとヴィヴィアン・リーの存在です。
クラーク・ゲイブルに関しては、既にこの頃(1930年代)には、MGMの大スターであり、国民の間でも、レットは彼しかいない!と言う確信が有りました。
しかし、そのゲイブルにしても、コスチューム(古い時代の服装)を着て映画に出ることを嫌っていたことと、MGMからゲイブルを貸し受けるには膨大な出演料が必要だったのです。

そして最大の問題は、この映画の主人公、スカーレット役の女優を誰にするか?でした。
一般の公募や数多くのスターを面接、フィルム・テストを行いました。
そこには話題を盛り上げると言う戦略も有りましたが、それ以上に適役が見つからないという問題もありました。
更に『風と共に去りぬ』が出来る前年『黒蘭の女』と言う、同時代を描いた傑作が生まれてしまったのです。

スカーレット役に『黒蘭の女』で見事に南部の女性を演じたベティ・デイヴィスという声もありましたが、それでは『黒蘭の女』に作る前から負けを認めた事になります。
更に有力な候補として、ポーレット・ゴダードと言う女優が挙がりました。
彼女はプロデューサー セルズニックの隣の家に住むチャールズ・チャップリンの恋人だったのです。
セルズニックは、この時相当悩み、それは大々的な宣伝の結果が、隣に住むゴダードで良いのか、そして今ひとつ彼女にスカーレットの姿をダブらせる事が出来ないことでした。

そうこうするうちに、スカーレットのいない部分の撮影が始まりました。
そして遂に『風と共に去りぬ』で有名なアトランタが炎上し倉庫が崩れ落ちるシーンの撮影中(1938年12月10日夜)に、セルズニックの兄マイロンに「デイヴィッド、君のスカーレットだ!」と連れて来られたのがヴィヴィアン・リーだったのです!

彼女は、それまで数本の映画に主演しただけのアメリカでは、無名のイギリス人女優でした。
恋人のイギリス人名優ローレンス・オリヴィエ(当時、ハリウッドで『嵐が丘』を撮影)を追いかけてアメリカに来て、アメリカでの仕事のエージェントを、セルズニックの兄マイロンに任せていたのです。
最終的には、ジョーン・ベネット、ジーン・アーサー、ポーレット・ゴダード、そしてヴィヴィアン・リーでカメラテストを行いました。
今も残るテスト・フィルムを観ると、スカーレット役は彼女しか考えられません。
そしてその年のクリスマスに、ヴィヴィアン・リーに採用を告げたのです。
セルズニックとリーの出会いこそ、この映画を作るために起きた最大の奇跡と言えます。

この作品のプロデューサー、デイヴィッド・O・セルズニックと言う人は、父親も映画関係の仕事をしており、彼自身も小さい頃から映画に携わってきました。
父親からは、お金を使うことの重要性を教え込まれ、父親が破産すると、弟と共に映画界でどうやって映画を作り損をしないか、どれだけ自分の思い通りに映画を作り出すかを追求していきました。

またハリウッドと言うところは、映画は分業化されており、映画を作る際の一番の権限者はプロデューサーだったのです。
彼自身、次々と世の中に名作を残したと言う点で、素晴らしい映画人で有ることは間違い有りません。
バイタリティに溢れ、独善的で癇癪を起こし、しかしカリスマ的で有った。
『風と共に去りぬ』が出来るには、セルズニックと言う映画界の怪物も必要だったのです。

彼の下で、監督、脚本家、編集者、そして俳優、全ての関係者が酷使されました、もちろん彼自身の肉体も...。
当初、監督にはセルズニックの友人でもあるジョージ・キューカーが当たっていましたが、脚本への不満から降板、後を引き継いだのがヴィクター・フレミングでした。
しかし彼は体調を崩し途中で休養に入ります。
その代役にはサム・ウッドが当たり、フレミングが戻ってからは、6班体制で撮影が続きました。

脚本も当初、シドニー・ハワードが担当していましたが、途中で逃げ、ベン・ヘクトなど数名の脚本家入れ替わり立ち替わり当たりましたが、構想自体はセルズニックの頭の中だけに有り、撮影をしながら脚本を作ると言うものでした。

撮影が終わってからが更に大変でした。
そう膨大なフィルムの中からフィルムの編集を行わなければならないのです、しかも、短い期間で...

この作品は、テクニカラーでの作品となりました。
この頃、カラーは未だ一般的ではなかったのです。
そして南部の雰囲気を出すために、今で言うCGと同じ考え方の方法を使いました。
それは背景に数多くの絵を使用したのです。
実写と絵を重ね合わせると言うものでした。
当然そこには、カラーだからこその色合いという問題が有りました。

こういった問題の数々をクリアして、スニーク・プレビュー(覆面試写会)を通じて、公開に漕ぎ着けました。
そして公開されたこの作品は、空前の大ヒットとなりました。
そうこの映画の成功の裏には、時代が生んだ偶然と数多くの奇跡、それを生んだのは人々の情熱があったのです。

時代に支えられた映画

1930年代アメリカ、世界恐慌から立ち直りを見せた時代、またヨーロッパでは世界大戦の足音が忍び寄った時代。
逆にハリウッドでは、そういう時代に国民の唯一の娯楽、“映画”を作れば、観客が動員できる時代。
今のようにテレビ等、娯楽が多様化していない時代で、各映画会社が豊富な資金を持ち、またサイレントからトーキー、モノクロからカラーという2つの大きな技術革新を経た時代。
だからこそ『風と共に去りぬ』に膨大な資金を集められたのです。

※ 『風と共に去りぬ』を作るために、セルズニックの資金調達は困難を極めた。
それは余りにも製作費が膨らんだことにある。
しかしそれでも集められたのは、セルズニックに有力なスポンサーがいたことやMGMの創始者メイヤーの娘婿で有ったこと、すなわち映画は投資しても儲かるビジネスであったことによる。

現在、これだけの映画を撮ることは不可能に近い。
ある程度、資金の回収が見込まれる大作『タイタニック』や『マトリックス』のような作品。
若しくは、低予算の作品と言う二極化が進んでいる現代では、一人の情熱やこだわりだけでは、これだけの大作映画は作れない時代になってきているのです。
『風と共に去りぬ』は、この時代が生んだ作品とも言えるのです。

『風と共に去りぬ』は奇跡が生んだ映画で有り、その生まれる過程もドラマだったのです。
確かに古い映画です、しかしこの時代にしか生まれようのない映画、それが『風と共に去りぬ』なのです。
新しい映画を観る喜びと共に、古い映画を観る楽しさも同時に味わって欲しい、それが私の願いです。

Reviewed in 12.1999

風と共に去りぬ

永遠のドラマ 『風と共に去りぬ』

人間ドラマの普遍性

現代社会の複雑さは、60年前とは比べようもない。それは間違いない事として、そこに有る人間の悲しみや喜びは、60年前とそれ程違いはないのではないだろうか?
現在の映画では、その複雑な人間関係を背景にして、ある時は哲学的であったり、またある時は心理学的な思考に基づいて、画面上に表現されることがある。映画の歴史に於いて、作品の中に心理学的な側面が色濃く現れてくるのは、1950年代あたりだろうか...

では、『風と共に去りぬ』が製作された当時の映画は?と言うと、そのドラマティックな語り口によって人に見せようとしていた。
『風と共に去りぬ』も当然のように、(原作が有ったとしても)物語自体が非常にドラマティックである。
そこに描かれているのは、アメリカの最大の内乱、南北戦争を背景に、人間の誇り、家族愛、夫婦愛、親子愛、そして友情で有った。

その全てがこの作品には詰め込まれているのである。

愛され続ける理由

『風と共に去りぬ』で描かれる人物像や恋愛観は、今の時代にも同様で、そう言った点がこの映画が永く愛される理由だと思う。

スカーレットのような気性の女性、わがままで、計算高く、人のことを考えない、ようは嫌な女なのである。
しかし、それは本音と常に前向きな姿勢の現れであり、またその無垢さが可愛い女とも言えるのである。
メラニーは、優しさの中に勇気と気高さを持った、ある種聖母のような女性に描かれている。
しかしそれは、弱い男にとっては心安らぐ存在であるが、強い男にとっては実は側にいられると自分の思い通りにならない辛さがあるのかもしれない。
レットのような男性は、本当に理想的な男性像かもしれないけど、女性の心の中まで分かる事は出来ない。
アシュレーのような優柔不断な優男、だけどこういう男性に心が癒される女性も多いと思う。
そう言った4人の登場人物を通して、観客は自分の憧れや願望を見つけようとしているのではないだろうか?

そう観客(言い換えれば私)の心理的な変化(成長)に伴って、この4人の登場人物を理解したり、良いところや悪いところを見付け出したり、好きになったり嫌いになったりするのである。

登場人物の個性がしっかりと描かれた上で、そこにはその人間関係においても、丹念に描かれている。
スカーレットと父親、そして母親と妹たちの関係。
スカーレットと幼なじみのアシュレーの関係。
アシュレーとメラニー、スカーレットとメラニーの関係。
そしてレットとスカーレット、レットとメラニー、アシュレーとの関係。
見事なまでに、その人間関係が浮き彫りにされていく。
そうドラマティック!、ハリウッドの映画はエンタテインメントで有る。

その伝統はこの作品にも息づいている。
何も観客がハラハラドキドキするのは、アクションやSFXだけではなく、人間ドラマにおいてもそうなのである。

新しい発見

今まで書いてきたように『風と共に去りぬ』には、観る度に新しい発見がある。
それは感想の中にも書いたが、今回もまたそれを見つけ、感動する事が出来た。

家族の大切さ!
この映画の骨太なテーマとして、明日を生きるための精神、スカーレットを通して生きていくために必要なものが描かれているが、もう一つ、それに関わる重要な精神に気が付かされる。
それは家族の大切さ、夫婦の大切さで有る。
一つはスカーレットと父親、母親との親子関係、そしてそれ以上にスカーレットとレットの夫婦関係である。

スカーレットとレットは、出会いからすれ違いの恋愛をしてきた。
その中で夫婦になり、一人娘を授かる。
レットは、娘を通してスカーレットへの深い愛情を示している。
そこにはスカーレットが自分の言うことを聞かないのであれば、自分の言うことを聞くスカーレットのような女性に、娘を育て上げれば良い!と言う気持ちがあったのかもしれない。
しかしそれ以上に子供を作る・育てるという行為は、夫婦の生活の中で愛情を築き上げる最も重要で大変な作業なのではないだろうか?離れかけたレットのスカーレットへの愛情も、子供の存在で保たれている。

決して「子は鎹(かすがい)」と言いたい訳ではない。
子供は二人の愛情の歴史であり、子供が夫婦間の愛情そのものだったのである。
私がそれに気付いた時、子供の死と共に二人が別れるシーンに初めて涙するのである。

何度も観ることによって得るもの

『風と共に去りぬ』を何度も観て、観る度に新たな発見と共に、新たな感動を得る。
最初に観て、その壮大なスケールに感動するのも良いだろうし、メラニーの母性に打たれるのも良い。
レットの男らしさに魅了されるのも良いし、スカーレットの生き様に憧れることも有るだろう。

それはこの作品のような素晴らしい映画に出会う事と同時に、観る本人の成長も自分の中に記録していく事に違いないのではないだろうか?
「たかが映画」なのである。
しかしそれは向き合った時には、自分自身の成長を見つめている事にも繋がっている。
良いものを繰り替えし観る(小説のような書物で有れば繰り返し読む)、それが古いものであろうが新しいものであろうが、少しずつ新しい発見があることによって、人生も少しずつ変わっていくのではないだろうか?
いや、変わってきたこと(成長してきたこと)を確認できるのかもしれない。

Reviewed in 12.1999

映画『風と共に去りぬ』のデータ

GONE WITH THE WIND 234分 1939年 アメリカ
監督■ヴィクター・フレミング
製作■デビッド・O・セルズニック
原作■マーガレット・ミッチェル
脚色■シドニー・ハワード
撮影■アーネスト・ホーラー/レイ・レナハン/ウィルフリッド・M・クライン
音楽■マックス・スタイナー
美術■ライル・ホイーラー
衣装■ウォルター・プランケット
編集■ハル・カーン/ジェームズ・ニューカム
出演■クラーク・ゲイブル/ヴィヴィアン・リー/レスリー・ハワード/オリヴィア・デ・ハヴィランド/トーマス・ミッチェル/バーバラ・オニール/ハティ・マクダニエル/ジェーン・ダーウェル/ウォード・ボンド/イブリン・キース/アン・ルサフォード/バタフライ・マックイーン/ハリー・ダベンポート/イザベル・ジュエル

アカデミー賞 1939年
作品賞受賞
監督賞授賞 ヴィクター・フレミング
主演男優賞ノミネート クラーク・ゲイブル
主演女優賞授賞 ヴィヴィアン・リー
助演女優賞授賞 ハティ・マクダニエル
脚色賞受賞 シドニー・ハワード
作曲賞ノミネート マックス・スタイナー
美術賞授賞 ライル・ホイーラー
編集賞授賞 ハル・カーン/ジェームズ・ニューカム
色彩撮影賞授賞 アーネスト・ホーラー/レイ・レナハン
特殊効果賞ノミネート JOHN R.COSGROVE/ARTHUR JOHNS/FRED ALBIN
録音賞ノミネート THOMAS T.MOULTON
特別賞(製作企画)授賞 ウィリアム・キャメロン・メンジーズ
アーヴィング・タールバーグ記念賞授賞 デビッド・O・セルズニック

NY批評家協会賞 1939年
女優賞授賞 ヴィヴィアン・リー

<DATA>

 “タラのテーマ”を耳にしただけで走馬燈のように数々の名シーンが蘇り、知らず知らずの内に涙が溢れだし・・・そんな体験をした数限りない映画ファンが愛し続けた、いやこれからも愛され続けるであろう、アカデミー9部門(作品・主演女優・助演女 優・監督・脚色・撮影・室内装置賞・編集賞にタールバーグ記念賞)受賞のハリウッド映画史上不滅の最高傑作!
 南北戦争前後のアトランタを舞台に、炎のような女、スカーレット・オハラの波乱万丈な半生を、完璧なまでの配役とこの上な いほどの豪華なセットや衣装・・・と、今更語り尽くされた紹介はせずとも、その魅力あふれる内容とスケールの大きさはすでにご存じの筈。
 出演者選びにはじまり、撮影当初から最後まで差し替えられ続けた脚本や監督の交替劇など、その最悪状態の製作過程を も乗り越えた製作者セルズニックの執念と熱意(舞台裏での混乱をも宣伝効果に使った)。
 彼は10数人にも及ぶ脚本家の陣頭指揮を取り、当時まだ実験途中だったテクニカラーを導入する等、今や“セルズニックの監督作”と呼ばれるこの超大作を渾身で作り上げ た。
 “二度と作る事が出来ない”と言わしめただけの豪華さを持って、後の映画製作に(良くも悪くも)多大な影響を及ぼす結果を生んだ事も決して忘れてはならない所である。
 確かに長すぎるとも思える上映時間や、主人公スカーレット・オハラが万人に愛されるようなキャラクターでないのは事実。
 スカーレットが愛し続けたアシュレーも“そんなにイイ男か?”と思ってしまう部分もあるが、この映画 を通過する事は、映画ファンを自負する者にとってはもはや“義務”なのである。
 そう、“これを見ずしてハリウッドは語れない”のだから・・・。 <allcinema

 大プロデューサー、セルズニックが作り上げたアメリカ映画史上の金字塔。
 南北戦争が始まる直前のジョージア州アトランタ。
 大農場主の娘スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、アシュレー(レスリー・ハワード)を愛しているが、アシュレーは彼の従妹メラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)と結婚してしまう。
 勝ち気なスカーレットはあてつけで、メラニーの兄と結婚するが折から始まった南北戦争で戦死、今度は妹のフィアンセを横取りして結婚するが、彼もまもなく亡くなってしまう。
 激しい戦火を、たくましく野性的な男バトラー(クラーク・ゲイブル)に助けられて切り抜けたスカーレットは、バトラーの強引とも言える愛情に引きずられて結婚する。
 だが、彼女はアシュレーへの思いが断ち切れず、二人の生活は破綻し、バトラーは彼女の前から去っていく。
 その時初めてスカーレットは、バトラーを愛していることに気づくが既に手遅れだった・・・。
 破格の製作費600万ドルを注ぎ込んだセルズニックの執念。
 ゲーブル、リーをはじめとする名優達の最高の演技。
 テクニカラーの画期的成功など、ミッチェル女史のベストセラーは黄金の’30年代を締めくくるに相応しい超大作となって甦った。
 特にスカーレットの波瀾万丈の生き方を通して、女性の立場からアメリカン・スピリットをうたい上げた点に、時代を越えて輝くこの作品の原点がある。

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