~感動できる映画たち、映画に感動!Can do!~

「死にたい」と思ったときに、元気なるための映画

やりきった

自分が生きる執着心が低いと先に書いた通り、私の場合は何か執着するものが必要だと思うようになってきた。
例えばそれは「夢」だったり。
仕事=夢である必要は全くないけど、自分が達成しようとする夢がないと「自分の今の人生に何の価値があるのだろう?」と疑問に思う。

私のように50歳を過ぎると思うことがある。
得るものより、失うものが多い

経験一つをとってもそう、ワクワク感がなくなるのは経験値が増えると、相対的に新しい経験が無くなるからワクワク感が無くなる。
当たり前だけど、「歳を取ると時間の過ぎるのが早く感じる」のは、新しい体験が減っているからだぞうだ。

人をとってもそう、自分の友人や下手したら後輩が、この歳になると亡くなり始める。
特に子供や青春時代の自分のアイドルが、この歳になってくると亡くなり始める。
80歳を超えて亡くなるなら、まだ早いとは思わないけど。
ホイットニー・ヒューストンもマイケル・ジャクソンもプリンスも今はいない

自殺か事故か、それとも殺人かは判らないけど。
一つ思うことは「やりきった感」というもの。

映画『素晴らしき哉、人生!』 IT'S A WONDERFUL LIFE

ツキに見放され、大金を失って自殺しようとした矢先、目の前で飛び込もうとする人を必死で助ける主人公。
その助けた相手は、自らを見習い天使だと言う、天使は「もしあなたが生まれていなかった世界」を見せるという。

彼は自分のいない世界を見て、自分がこの世の中に存在する意味を感じ取る
クリスマスに起きた一つの奇跡!

詳しくは「映画『素晴らしき哉、人生!』 クリスマス・イブの夜に奇跡的な感動に出会う」をどうぞ

監督■フランク・キャプラ
製作■1946/130分/アメリカ
出演■ジェームズ・スチュワート/ドナ・リード/ライオネル・バリモア

もう今更、宇宙飛行士にもなれないし、イチローのような野球選手にもなれない(なれる人もいるかも)。
50年も生きていると自分の限界が何となく判る(気がする)
そして、自分の人生の中で、仕事も頑張ったし、遊びや旅行もたくさんしたし、子育てもしたし、さて次に何をやろうかな?と。
段々と身体の言うことが効かなくなってきて、毎日徹夜して仕事を頑張ったり、朝早くから遊びに行って夜中に帰ってきたり、そんなことを続けることが難しいと思う自分がいる。

私の好きな吉田秋生さんの「海街Diary」の1シーンで印象深いのは、ある銀行マンの融資先のお客さまが事業に失敗して破産寸前になる、家族もいて事業の立て直しのために銀行に再建計画を出して、どうにか融資をしてもらってこれから!という時に、フラッと散歩に行くように出かけていき、そのまま電車に飛び込み自殺をするというシーン。

それまで会社を頑張って来たけど、それがマイナスになってやっと0に戻す目処が立った時、この先自分に待ってるものはなんだろう~と。
人生やりきってしまったのでは?

やりきってしまった先の人生は、死んでるのと一緒なのでは?むしろ生き地獄でしかないのでは?
そんなことを感じてしまうシーンであり、ふと自分でも思ってしまうことでもある。

映画『明日、君がいない』 2:37

オーストラリアの高校で午後2時37分に一人の生徒が自殺する。
6人の生徒のその日の朝からの生活が再現されていく、そしてそれぞれが抱える悩みが徐々に明らかにされていく。

明らかにされる現実も衝撃的ではあるが、自殺した生徒とその理由に驚かされる。
本当に自分は必要ないのか?

監督・脚本■ムラーリ・K・タルリ
製作■2006/99分/オーストラリア

夢を持ち続けるために

もちろん人生100年の時代に入りつつある、この記事を読んでいる人たちも100歳位までは生きる時代になる。

生きる勇気を与えてくれるのは、新しい経験をすることなのかもしれない。
死ぬまでやりたいことを持ち続けるしかないのかもしれない。

そのためには、夢を持ち続けて、それに一歩踏み出す「覚悟」を持つことが大切かも。
自分で夢に制限を付けているのかもしれない。

「空想教室」を書かれた植松努さんは「迷った時は大変そうな方、楽しそうな方を選べ」と書いています。

※ 詳しくは「About Site」を読んで頂けると嬉しいです

「夢って一体誰が決めるんだろう、やったことがない人が決めるのは変じゃないか?」とあります。
それは自分自身にも当てはまると思うんです、いつの間にか自分にはできないと。

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